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1866年 四境戦争

 

討幕を掲げることになった長州藩は、
土佐浪士の坂本龍馬の仲介で、西郷隆盛の薩摩藩と薩長同盟を結びました。
八・一八の政変以来、対立が続いていた長州藩と薩摩藩でしたが、
ついに団結するときがやってきました。

 

6月にはいると幕府征長軍が、長州藩領を四方から取り囲み、攻撃を仕掛けました。
四境戦争の始まりです。
長州藩の藩境は4ヶ所あり、芸州口、大島口、石州口、小倉口の、
それぞれの藩境で戦いが行われたため、四境戦争と呼ばれました。
第二次長州征伐などと呼ばれることもあります。

 

幕府は、まず大島口を攻撃、あっと言う間に周防大島を占領してしまいました。
この知らせを聞いた長州藩は、高杉晋作を現地に派遣しました。
晋作は、幕府の軍艦に対して夜のうちに奇襲をかけ、あっさりと撃退してしまいました。

 

芸州口、石州口でも戦いが開始されましたが、芸州口では井上聞多、
石州口では大村益次郎の活躍により、勝利しました。

 

小倉口では、大島口から戻った晋作が指揮をとり、
幕府への忠誠心が強い小倉藩との戦いが繰り広げられました。
途中、坂本龍馬率いる海援隊の応援もあり、小倉城奈落という形で
長州藩の勝利で幕を閉じました。

 

それぞれの戦地で長州藩が圧倒的に勝利し、幕府の弱さが浮き彫りになりました。
そして、討幕への大きなきっかけとなりました。

 

小倉城(復興済み) (福岡県北九州市小倉北区城内2-1)(GFDL)

 

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