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1860年 試撃行

 

1860年、高杉晋作は、江戸にある幕府の軍艦教授所に入所することになりました。
江戸までの道のりは、丙辰丸(へいしんまる)という、長州藩所有の軍艦に乗り、乗船訓練を兼ねての旅です。
以前から、航海学や西洋の学問を学びたいと思っていた晋作は、意気揚々と訓練に参加しました。

 

約60日かけて江戸へ到着しましたが、その航海は晋作にとっては、さんざんなものでした。
船中での生活は、とても不自由で退屈でしたし、航海術もそう簡単に修得できるものではありません。
江戸に着くころには、すっかり意欲をなくしていました。
航海中につけていた「東帆録(とうはんろく)」という日記も、途中でやめてしまいました。

 

航海が自分には向いていないということを悟った晋作は、江戸に着くとすぐ、
軍艦教授所の入所を勝手に取り消してしまいました。

 

軍艦に乗ることをあきらめた晋作は、改めて文学と剣術に力をいれることを決意しました。
そして、剣と文学の修行を目的とした、北関東、北陸を回る旅にでました。
この旅は、試撃行(しげきこう)と名付けました。

 

晋作は生涯でたくさんの旅をしていますが、試撃行は生涯の中で、唯一晋作自身が計画、実行した旅でした。
その他の旅はすべて、藩からの命令によるものか、政治的な亡命によるものでした。

 

試撃行では、笠間の加藤有隣、松代の佐久間象山、福井の横井小楠などの名士に会い、充実した日々を過ごしました。
けれどもその反面、自分の未熟さを思いしらされた旅でもありました。

 

佐久間象山
佐久間象山

 

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