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1857年 松下村塾入門

高杉晋作の将来に重大な影響を与えた出来事といえば、
松下村塾に入門したということがあげられます。


吉田松陰が主宰する松下村塾は、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れ、
活きた学問を勉強する場としての役割を担っていました。
高杉晋作は19歳のとき、幼なじみの久坂玄瑞に誘われ、松下村塾の門をたたきました。
入塾時、自信のあった自作の詩を見せると、吉田松陰は
「才能はあるが、久坂玄瑞よりは劣っている。」と指摘しました。
吉田松陰のこの一言が、負けず嫌いだった晋作を奮い立たせ、
それ以来、勉学に没頭するようになりました。

 

松下村塾での勉強は、学んだ知識をどのように実行にし、
将来の日本にどう活かすか、ということを中心に進められていきました。
この吉田松陰の思いを忠実に受け継いだ塾生の中からは、
明治維新、明治新政府で活躍した、多くの逸材が育っています。
その中でも高杉晋作は、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一とともに、
「松下村塾 四天王」と呼ばれ、他の塾生たちからも一目置かれる存在でした。

 

松下村塾松下村塾(萩市椿東松本)

松下村塾
松下村塾勉強風景(再現モデル)(萩市大字椿1258:松陰記念館内)

 

 

 

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